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福岡地方裁判所 昭和49年(タ)45号 判決

原告

(反訴被告、以下単に原告という。)

甲野太郎〈仮名〉

右訴訟代理人

井上藤市

被告

(反訴原告、以下単に被告という。)

甲野花子〈仮名〉

右訴訟代理人

山口英尚

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  原・被告間の長女松子〈仮名〉(昭和三八年四月二七日生)および次女梅子〈仮名〉(昭和四〇年一〇月三〇日生)の親権者をいずれも被告と定める。

三  原告は被告に対し一五〇万円とこれに対する本判決確定日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告のその余の反訴請求を棄却する。

五  訴訟費用は本訴反訴を通じて二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(本訴について)

一、請求の趣旨

1 主文一項同旨。

2 原告と被告間の長女松子、二女梅子の親権者を原告と定める。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

二、請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴について)

一、請求の趣旨

1 主文一、二項同旨。

2 原告は被告に対し、五〇〇万円および内三〇〇万円に対する本訴状送達日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は原告の負担とする。

4 第2項につき仮執行宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

1 被告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の主張

一、本訴請求原因

1  原告と被告は昭和三六年一一月一三日結婚し、その間に本訴請求の趣旨記載の二女を設けている。

2  婚姻を継続しがたい重大な事由

(1) 被告は結婚当初から、話と違い原告は酒を飲むし出張が多いといつては、自分は媒酌人からだまされて結婚したと絶えず原告に不平をもらし、原告の職業が運転手であることを恥じ、原告と同じくA放送局に勤務する被告の妹桜子〈仮名〉より原告の方が薄給なこと、原告の実家が貧乏なことを軽べつし、原告と別れて原告より立派な男性と結婚してみせると口癖のようにいつていた。

(2) 原告は、被告と結婚後三回入院(第一回目は昭和四一年七月九日九大病院に肝臓病で四五日間、第二回目は昭和四三年二月九大病院に肝臓病再発と盲腸炎で約五か月間、第三回目は昭和四五年四月国立中央病院に膀胱結石で一五日間)したが、その間被告は第一回目の入院の時二、三回、第三回目入院のときは一回見舞に来ただけで、あとは被告の実家(A郡A町)に殆んど帰つていて、家庭も省みず、原告の姉訴外乙山月子〈仮名〉が原告の看病や子供の世話をした。

(3) 被告は近所の人に自分の夫は大学出身であるといいふらすなど虚栄心が強いし、子女の養育には怠慢であり、長女松子の三回の盗みに対しても、適切な処置を欠いている。

3  以上から明らかなとおり、被告の性格は原告のこれと一致せず、原告は被告に対する愛情を喪失するに至つたので、両者間には民法七七〇条一項五号の離婚事由が存するものというべく、原告は被告との離婚および子女二人の親権者を原告と定める裁判を求める。

二、本訴請求原因に対する答弁〈省略〉

三、反訴請求原因

1  被告は原告と昭和三六年一一月一三日結婚し、昭和三八年四月二七日に長女松子を、同四〇年一〇月三〇日に次女梅子を出生したものであるが、原告には以下に述べるとおり不貞の行為、悪意の遺棄の行為があり、かつ、婚姻を継続しがたい重大な事由がある。

(1) 原、被告の夫婦仲は当初は円満であつた。原告は昭和四一年七月九日肝臓病のため入院したので被告は当時三才の長女と生後一〇か月の次女を抱えながら二、三日ごとに入院先の病院に通い休むひまがないほど原告の看護と世話につとめた。そのかいあつて原告は同年八月三一日に治療を終え退院したが、翌昭和四二年二月二日肝臓病再発のため再び入院し、被告はその看病に尽くした。しかし同年五月下旬ごろ被告自身舌根偏頭腺炎にかかり同年六月ごろは二児とも中耳炎になつたため身動きがとれなくなり、そのため原告の了解を得て、被告は原告の入院中、被告の実家に帰つた。その二、三日後、原告が盲腸の手術をした旨の連絡をしてきたので被告は急いで原告の許にかけつけ看病を尽くし、その後原告は退院し、同年一〇月頃職場に復帰した。

(2) 原告は、その後右入院先の九大付属病院看護婦訴外丙川竹子〈仮名〉と親しくなり、昭和四三年三月頃より帰宅は遅くなり、同年六月には出張と称して一週間も同女を伴つて旅行したこともあつた。被告が原告と同女との関係を清算するよう懇願したりすると、原告はこれを聞き入れないばかりでなく、逆に被告に暴言暴行を加え、被告はそのためたびたび傷を負わされた。原告と同女との関係は、昭和四四年七月頃までも続いていた。

(3) 原告は昭和四四年一二月ごろA放送局診療所看護婦訴外丁野桐子〈仮名〉と親しくなつた。そのころの原告は金使いが荒く飲み代のつけはかさみ、一家は生活費に窮した。その間原告は昭和四五年三月から四月にかけ二〇日間膀胱結石手術のため入院したが、被告は原告に付添い看護に努めた。

(4) 原告は昭和四七年七月頃から福岡市中央区天神ビル内某クリニツク看護婦訴外戊田春子〈仮名〉と親しくし、そのためたびたび外泊し、食事も外でとり、給料も渡さなくなつた。被告がこのことを追及すると原告は被告に暴行を加えるだけであつた。

(5) 被告は、原告の女性関係の清算と家庭復帰を呼びかけるため、昭和四八年四月頃親族関係者に集まつてもらい円満解決のための話合をもつたが、原告は一向に反省の色すら見せなかつた。

(6) そこで、原告は同年五月一四日右解決のための親族会議を開き、原・被告、右戊田春子、原・被告双方の親族らが集つて協議したが、原告は離婚を主張して譲らないばかりか、当夜以来家を出たまま帰宅せず、家庭を放置しているので、以後被告は生活のため食堂の店員等して働いている。

(7) その後も、被告は原告の家庭復帰を願つて種々努力したにも拘らず、原告は本件離婚請求をするに至り、ここにおいて、原・被告の夫婦関係は完全に破綻を来たしている。

(8) よつて、原告には民法七七〇条一項一号、二号および五号の離婚事由が存するので、被告は原告との離婚の裁判を求める。

2  慰謝料

以上のような次第で被告が離婚によつて被る精神的損害ははかり知れず、慰謝料は三〇〇万円が相当である。

3  親権者の指定

前記のように原告は家庭をかえり見ず、父親としての適性を欠き、子供に対する愛情がうすいなど年少者の監護教育にふさわしくないばかりか、前記子女らも被告を慕つており、現にその保護の下で養育されているので、将来もこれを継続させるのが両女のため幸福であるから、親権者として被告の指定を求める。

4  監護養育費

更に、子供らの今後の監護養育の費用として、同人らが各成年に達するまで一人につき最低月三万円を要するものと考えられるから、これを昭和五〇年一月分から計算すると、長女優子については一〇〇ケ月分三〇〇万円、二女富美については一三〇ケ月分三九〇万円となり、これを一時金として請求する場合においても最近の物価上昇率を考慮すれば、中間利息を控除する必要はないが、仮りにホフマン式によりこれを控除したとしても、優子は約二五〇万円、富美は約三一一万円となるところ、当座の費用として、右一部の一人につき各一〇〇万円計二〇〇万円を請求する。

5  よつて、被告は原告に対し、原・被告間の離婚、子女二名の親権者を被告と定めること並びに原告から被告に対する離婚に伴なう慰藉料三〇〇万円とこれに対する本件反訴状送達日の翌日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金および子女二名の扶養料の一部として二〇〇万円の各支払いを求める。

四、反訴請求原因に対する認否〈省略〉

第三  証拠〈省略〉

理由

第一はじめに

本件において、原・被告は両者間の離婚を求める本訴と反訴をそれぞれ提起しているが、かような場合特段の事情がない限り、原・被告双方に離婚意思が存するものと考えざるをえないから、両訴の離婚請求部分をいずれも認容するのが妥当と解されるので、主文一項掲記のとおり判決した。しかし、前記した点から明らかなとおり、原・被告は、それぞれ本訴・反訴において、その余の請求をも提起しているので、その判断に供するのに必要な限度で、以下検討する。

第二婚姻生活のいきさつ

一婚姻の成立

〈証拠〉によれば、原告(昭和一二年一月一二日生)と被告(同年一一月五日生)は、昭和三六年一一月五日挙式して同居生活を始め、同月一三日婚姻の届出をし、その後長女松子(昭和三八年四月二七日生)次女梅子(昭和四〇年一〇月三〇日生)の二女を設けたことが認められる。

二婚姻破綻の経過

〈証拠〉を綜合すれば、次のとおりの諸事実が認められ、これに反する〈証拠〉は信用することができず、他にこれに反する十分な証拠はない。

1  原・被告間の婚姻生活は結婚当初四、五ケ月は平穏に推移したが、A放送局に運転手として勤務する原告は、飲酒を好み、帰宅時間が夜一一時以降になることが度重なつたため、被告は不満に思い、しかも原告の職業、給与等についても心よからず思つていたので、右のことがらに対して原告に不平をもたらすようになり、又原告の実家に行つた際も、被告は提供された食べ物にあまり手をつけなかつたことで原告から意見されるなどあり、それやこれやで、やがて原・被告間のいさかいが絶え間なくおこるようになつた(しかし、その間にも原・被告間に長女松子、次女梅子が生まれたことは、前示のとおりである。)

2  原告は昭和四一年七月九日から肝臓病のため四五日間九大付属病院で入院加療を続け、被告も幼児二名を抱えて時々右病院を訪れ、被告の身の回りの世話をしたこともあつた。原告は同年八月三一日一たん治癒し退院したが、その後肝臓病が再発したため、昭和四二年二月二日再び同病院に入院することになつた。しかも、同年七月には原告が盲腸炎の手術をしたこともあつて、原告の退院は同年七月二八日になり、以後二ケ月位の通院生活ののち、同年一〇月頃職場に復帰した。この間、時々被告は見舞には行つたものの、自らも体をこわしたことと、子供二名が中耳炎を悪化させたりしたため、一時実家に帰つたりもした。

3  原告は、かねてより被告の原告に対する不満やグチを耳にしては口論がたえなかつたことから、被告に対する強い不満を抱いていたが、肝臓病で入院中も被告の見舞と心使いが十分でないものと考え、その不満は次第に募るばかりであつた。丁度そういう時期に原告は右病院の看護婦訴外丙川竹子と意気投合し、昭和四二年一〇月頃には同女との仲は急速に進展し、肉体関係を持つこともあつた。原告と同女との交際を知つた被告が原告を責めると、原告は被告を足蹴りにしたり殴つたりの暴行を加えたりした。

被告は同女にも会つて原告と別れるよう懇請したりもしたが、その甲斐なく、原告と同女との交際関係は昭和四四年八月ごろまで継続した。その間右を原因とした被告と原告との争いは絶えず、被告が原告から暴行を受けることもしばしばであり、思い余つた被告が、被告の実家のあるA郡A町に戻つたところ、心配した被告の父親が、被告を連れて原告宅に帰つたが、その夜被告の足が原告の枕に触れたことに端を発し、被告の実父の目前で原告が被告に暴力をふるい、悪口の限りをつくすので、とうとう、被告の実父も被告を連れて、A町の実家に戻つてしまつた。しかし、その後二〇日程して原告が詫びを入れたため、被告も原告宅に帰り、一応原・被告の関係は正常に復した。

4  ところが、昭和四四年一二月頃から、原告は勤務先のA放送局診療所看護婦丁野桐子と互いに贈り物を交換しあう程の交際を始めており、金使いも荒くなつたので、被告は家計の足しに内職をやりだした。昭和四五年三月二日原告は膀胱結石手術のため国立福岡中央病院に入院したが、当夜から被告も膀胱炎にかかつたため、一時安静を余儀なくされ、原告の見舞看病に十分手を尽くすことはできなかつた。

5  更に、昭和四七年半ば頃から原告は天神ビル内の某クリニツク看護婦戊田春子と親密な交際を開始し、一年有余にわたつて肉体関係も継続された。原告の夜遅くなつての帰宅や外泊などのとき、被告が原告の女性関係を知つてそれを非難すると、遂に暴力をふるわれることも多く、被告が同女に会つて原告との関係を清算するよう懇願したり、原告の母親、姉たちも原告を説得したこともあつたが、両名の関係は止まなかつた。それで、昭和四八年五月一四日原・被告の住居において、原・被告のほか、戊田春子、原告の姉乙山月子、被告の父と兄らが集つて、原・被告と戊田春子の関係をどうすべきかについての協議がもたれたが、離婚を主張する原告とそれを拒む被告との間で話は平行線をたどり、結着がつかなかつた。しかし、この日以来原告はその住居を出て、前記乙山月子方に下宿し、昭和四九年三、四月頃肩書住所地に宅地(243.65平方米)を購入し、同地上に木造スレート葺二階建居宅一棟(床面積一階56.31平方米、二階26.49平方米)を新築して居住している。

6  その間の昭和四八年五月一五日被告は福岡家庭裁判所に夫婦関係調整の調停申立を行つたが、同年八月一六日不調に終り、そして昭和四九年六月原告から本件本訴が、昭和五〇年一月被告から本件反訴が各提起された。

7  原告が家を出て以来、子女二名は被告とともに居住しており、被告も昼間は軽食堂、陶器店、寿し屋等の店員を転々したあげく、最近はデパートの店員として勤務し、夜は内職をして稼ぎ、被告から月々交付される養育費三、四万円とあわせて、被告と子女二名の生活を支えている。

8  以上の経過を経た現在、原・被告とも相手に対する愛情と信頼を喪失し、婚姻を継続することは期待できない状況にある。

三婚姻破綻の原因と責任

右二に認定した事実によれば、原・被告間の婚姻は、原告の不貞行為を直接重要な原因として破綻に導かれたものというべきである。尤も、原告本人尋問の結果によると、被告は近所の人に、原告が大学卒であるなどと嘘をいつていたことも認められ、これに前認定の二の1の事実をあわせ考えると、被告の態度において原告に嫌悪感を抱かせることもしばしばあつたのではないかとも推測されるし、被告の態度が常に申し分のないものであつたかどうかについては疑問なしとはしない。しかしながら、それも、原告の度重なる飲酒と夜遅い帰宅、或いは原告の重大な女性問題に端を発しているのであつて、両者の婚姻生活の一連の流れの中においてこれを見れば、原告の責任は被告のそれに比しはるかに大きいと評価せざるをえない。そうすると、原告は被告に対して、本件離婚により被る被告の精神的苦痛に対し、慰藉料を支払う義務があるといわなければならないところ、前示認定の諸事情を総合すれば、右慰藉料としては一五〇万円をもつて相当と思料する。

四親権者の指定と監護養育費について

1  前示認定の諸事情を総合すれば、原・被告間の前記二名の子女の親権者は、いずれも被告と定めるのが相当である。

2  尚、被告は更に子女二名の監護養育費として、前記したとおり二〇〇万円の請求をするのであるが、被告主張の右費用は、民法にいう扶養の程度方法の問題(民法八七九条)に他ならないこと明白であるが、これは協議がととのわない限り家庭裁判所の審判事項であつて、当裁判所が判決手続で定める筋合ではない(最高裁判決昭和四二年二月一七日集二一巻一号一三三頁参照)から、被告の右主張は失当といわざるをえない。

五結論

1  以上により、離婚を求める部分は本訴・反訴いずれも正当として認容し、親権者を被告と定める。又、被告のその余の反訴請求のうち、離婚に伴う慰藉料一五〇万円とこれに対する履行期(本件離婚判決確定日)の翌日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容するが、その余の請求はいずれも理由がないから棄却する。

2  本件慰藉料の支払期は本件離婚判決確定日に到来するので、仮執行の宣言を付することはできないと解されるから、仮執行宣言の申立は却下する。

3  よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、主文のとおり判決する。 (簑田孝行)

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